ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

東京 東京 芝 とうふ屋うかい

東京芝という都心かつ東京タワーの足下にあるとうふ会席料理のレストランです。その立地からはまったく想像できないような、これ以上ないほど手入れの行き届いた日本庭園があります。個室中心で、大小ある全ての客室では、それぞれに特徴づけられた日本庭園の景色を眺めながら、素晴らしい料理をいただくことができます。

「東京 芝 とうふ屋うかい」にはどのタイミングで行かれたのでしょうか。

山口
都内で小石川後楽園と浜離宮へ行った後、3番目が芝の「とうふ屋うかい」です。基本的には名勝庭園などの歴史的な日本庭園を中心に据えようと考えていましたが、都内で他に現代建築と日本庭園が借景関係になっている場所を考えた時に「とうふ屋うかい」を思い出しました。個人的に何度かお店に行ったことがありまして、東京タワーを借景とする庭園があることをを知っていたからです。そこで公文さんと一緒に行くことにしました。

手入れが行き届いた素晴らしい庭園なんですが、ここはとうふ会席料理を提供するレストランで、庭の歴史としては2005年オープンなので約16年程度と新しい場所です。以前はボーリング場だったところにゼロから庭園をつくったことや、その時に地面が岩盤で掘削作業が難しかったことなどを、先の代表取締役社長だった大工原さんから聞いたことがありました。東京タワーの足元の敷地に展開する大小ある建物で、それぞれの客室を特徴づけるように日本庭園が構成され、また手入れもとことん行き届いた庭となっている、素晴らしい環境です。

撮影初期となると「隣り合うマチエール」を意識する前ですよね。

山口
そうですね。東京タワーを借景にした庭園という意識が強くて、まずはそこを抑えたい、という気持ちがありました。でも実際には、「隣り合うマチエール」といえる、素材と素材の組み合わせはたくさんありました。先に撮っている2つの庭園 (小石川後楽園・浜離宮恩賜庭園)に比較すると、レストランという小さいスケール感の庭園ですが、だからこそ素材自体がよく見えてくるということだと思います。結局、そういう部分も気になりましたので、公文さんに撮影してもらいました。でもその時点では借景のほうに意識が向いてたと思います。

公文
東京タワーを借景にする、ということを聞いた上で行ってみたんですが、東京タワーとの距離が近すぎて写真的には難しい場所でした。タワーの上まで写し込もうとすると、パースがかかって、そっちに目がいってしまうので避けました。ここは他の庭園と比べるとコンパクトで、その中にさまざまな要素が凝縮されていることの方が興味深かったですね。小さな世界の中に奥行きが作られているのは見ていて気持ちが良かったです。

食事を楽しむためのそれぞれの家屋から見える庭園の景色がすべてコントロールされているんですよ。ですから借景としての東京タワーに加えて、気になる庭園の細部を撮影していましたね。東京の森の隙間から赤と白のシンボリックなものが見え、下部には形の似た行燈があることも面白いですよね。

庭園として新しい場所ということですが、建築などは他の庭園などに由来するのでしょうか?

山口
山形県米沢から築200年の造り酒屋を移築していたり、他の建物も古材をつかってつくられています。奥高尾の山中にある「うかい鳥山」も素晴らしい環境ですが、そこも富山から大きな民家をまるごと移築しています。「うかい鳥山」はそもそも山のなかにあり、借景というよりは、山深いどこかの里のようなイメージです。

特筆すべきは、ノイズがなく、信じがたい完成度の庭園ということです。ノイズというのは、例えば京都の料亭に行くと、意外と庭園に余計な設備機器が見えたり、室内でも日本家屋と全く関係のない消防機器等が、さしたる配慮もされずに天井に設置されていたりするような要素のことです。そういうのが目についてしまうんです。うかいの両店舗は、そういったものを極力目立たないようにする努力がされています。

早朝、「とうふ屋うかい」で撮影させていただいた時に、僕たちが見たのは15人ほどの方々によって、毎日、ひとつひとつの落ち葉や雑草などを手入れをしている光景でした。その結果、最良の空間が保持されているんです。東京タワーの足元に、そんなことが毎日行われていることに、あらためて感動しました。

東京タワーという大きな建造物を借景としていますが、後楽園とドームの写真を見て感じたインパクトとは異なるものだったのでしょうか。スカイツリーの見える百花園ではうまくいかなかったと仰っていました。違いはなんなのでしょうか。

山口
東京タワーは高くて大きいですが、今では細いともいえる鉄骨ひとつひとつが繋がって出来ていて、鉄骨からスケールが大体わかるんです。瓦が1枚あれば、屋根の大きさが無意識的に実感できるのと同じだと思います。そういう意味では、後楽園で見た東京ドームにはスケールを図り知る手掛かりがないんです。抽象的で白く、大きなよくわからない塊、というスケール感がインパクトに繋がって、新しい借景として異彩を放っていました。

百花園に行ったのは「とうふ屋うかい」の後ですね。スカイツリーに使われている鉄骨は身体的かつ日常的なスケール感を遥かに超えてはいるので、東京ドームと同じスケール感の欠如がありそうですが、デザインされすぎていて、借景として見えるのは難しいのだと思います。東京タワーは鉄骨という素材が集まっているだけ、ともいえて、それが借景として成立するように感じられる理由なのかもしれません。。