ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

東京 小石川後楽園

1629年に水戸藩の江戸上屋敷内につくられた由緒ある日本庭園は、かつては富士山を借景としていました。現在はその名前を冠した遊園地と隣接しています。東京ドームの抽象的な白い外観と、比類のない巨大スケール感は、小石川後楽園から借景として捉えると、それ自体がもはやひとつの自然であり、山のように見えます。国指定特別名勝です。

後楽園に期待されていたのは、何だったのですか?

山口
後楽園に着いて、一番最初に目に入ってくる風景というのが、後楽園の池とその背後にある東京ドームなんですね。確かにそれを目の当たりにするとすごく格好良くて、まさに今までとまったく違う見方というものがそこでわかったという瞬間でした。国が指定する特別名勝というのは富士山などの自然風景を除くと全国に二十数ヶ所あります。特別名勝は国宝と同等なんです。でも仏像などと異なり、庭園については国宝指定を使わずに、代わりに特別名勝という言葉を用います。由緒正しい特別名勝である後楽園と、現代的な、しかもスポーツのための建物である東京ドームというものが絶妙なバランスで新しい風景を作っていることに、とても感動したのを覚えています。ここは今回の借景のプロジェクトの中では必ず外せない場所になるだろうと直感しました。

山口さんは現代の風景と名勝が隣り合う後楽園に実際行って、感動されたんですね。公文さんは、山口さんに言われたものとは別に、ご自身がいいなと思った感覚で撮影したと仰っていましたね。

公文
当初「新しい借景を撮る」というキーワードはあったので、後楽園と浜離宮において借景との関係はわかりやすかったというか。逆にいうと、自分のミッションはそれらを捉えることだったので、それしか頭にありませんでした。まず、野球場って外観よりも内側のイメージの方が強くないですか?僕は阪神タイガースファンなので、東京ドームは敵地というぐらいの印象で。東京にいても後楽園の駅で降りることがあまりなかったので、きちんと外側を見たことがなかったんですよ。僕にとってこれが名建築なのかどうかはわからないけど、白くふわっとした丸みが自然と一体になっていて、美しいと感じました。ただ、借景と庭との関係を撮ることが僕の使命だと思っていたので、ドーム・池・森という3つの並びが重要だと意識したときに、結局正面に立つしかないんですよね。

それで良しということになって、ぐるっと一周まわったあたりではもう池もドームもほとんど見えなくなったので、この借景の写真はもうおしまいという意識で歩いていました。小高い丘があるんですが、登って振り返ったとき、いいな、というより反射的に撮影しました。

普段のスナップと同じ感覚ですね。この写真に関していえば庭なのかどうかというのがわからないので、庭と借景の関係を撮るというミッションとしては失敗作というか、目的を果たしているものだとは思っていなかったんですよね。撮影後に色々な写真を山口さんにお見せした中に一応入れておいた、くらいの感じです。借景をきちんと説明するようなものを積み重ねていくプロジェクトから、徐々にこっちになっていきましたね。

山口さんはこの一枚がどこがいいと思ったのでしょう?

山口
正直悩みましたけどね。最初の1枚の写真というのは、まさに僕も撮っていた場所で、ドームを入れて借景として考えようとすると確かに絵になるスポットなんですよ。この場所が一番わかりやすいし一番綺麗だと思っていたわけだけど、写真となったときにインパクトがいまいちだった。最初に自分が感じたようなおおすごいってショックがなくて。それはまた別の話になってくるのかなと思ったんですよね。それがもう1枚の公文さんの写真をみた時に、つまりこういうことだよね、と思ったわけですよ。インパクトがあるということなのかはわからないけど、そもそも東京ドームともわからない抽象的で記号的なもの、でもスケール的にはとても大きい得体の知れないものが森の向こう側にあるというのが捉えられていて、さすが公文さんだなと。

このプロジェクトが面白いのは、写真でまた発見していることですよね。実際に現場で同じものを見ているはずなのに、写真を見て新たな発見があり、そこからまた始まっていくのがいいですよね。

公文
この後京都の庭園を巡るんですが、本来借景と呼ばれている東山とかってもっと弱いんですよ、そんなに驚かないというか。一体になっている風景だとは思いましたけどね。

山口
本来的な借景はびっくりさせるためのものじゃないし、たまたまそこにあるというくらいなので。逆に東京ドームのインパクトというのは、現代の借景だから成立しているんでしょうね。後楽園は東京ドームとの関係性に気づかないと、池の周りに関してだけいえば、私たちにとっては退屈でした。池の周りには木が生えているだけなので。どういうふうに捉えたらいいのか、興味を湧かせるのは難しい。それに、かつてどのような日本庭園だったのかというのはわからないんです。日本庭園は建築ではないので、時代ごとの管理によって見え方が変わっていってしまう。木の高さや刈り込みがどうだったのか、育った草木をどこでカットするかはその時代ごとの庭師やオーナーの感覚でコントロールされるもので、知る手立てがないんです。だけど背後に東京ドームがあることでまったく見え方が変わっていくというのは、現代の借景としてすごく価値が高いのではないのかと思っています。

日本庭園は時代によって風景が変わっていくということですよね。時代ごとの価値観によっても変わっていく。木の高さや枝ぶりもみんな違うから、それぞれの時代で見える風景は違うと。

山口
後楽園は、明治時代はおそらく富士山が借景だったんですよ。今はもう見えないけれど、東京ドームが富士山の代わりに借景になっているというのがすごく面白いし、新しい借景として現代の建物が引き継いでいる。東京ドームが白い山になっていて。

公文
それでいうと、この写真は残しているんですよ。建物の見え方が面白いなと思って。後々考えるとなんでもないんです、というのは後でわかってきました。なんて言うか、建築としてあまりかっこよくないと、その時はそういう話になったと思います。

山口
建物がどういう建物であるか、例えばマンションなのかオフィスビルなのかというのは、大体は見たらわかるじゃないですか。そういう情報が伝わってくるものは背景として認め難いものがあって。東京ドームがすごくいいのは、なんなのかがわからないというか、意図が見えないということに近い。もちろんドームにコンセプトはありますけど、結果的な見え方としては、白くぼんやりした大きい山。そう見せようと思ってつくられたわけではなく結果的にそうなってるわけです。ビルというと、中層階と高層階で質感を変えたりだとか、人間の意図が見えてしまって借景にはならない。日本の文化って素材を生かしているものだから、加工されちゃっているというデザインされたビルはちょっと違うんですよね。

だからマチエール、つまり素材。意図が見えてしまうものいうのは、異質なものになってしまうということですね。