ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

京都 仁和寺

平安時代に創建された真言宗の寺院で、大正時代までは皇室出身者が代々住職を務めていました。庭園は書院を挟んで北庭と南庭があり、五重塔を借景とし池のある北庭は7代目小川治兵衛によって現在の形になりました。南庭の宸殿前に桜と橘が植えてあるのは、京都御所の紫宸殿と共通しています。国指定名勝、世界遺産に登録されています。

仁和寺に行った理由を教えてください。

山口
仁和寺には本当は五重塔が借景となっている庭園があるんですけど、行ってみたらちょうどその庭と五重塔の間が工事中で、ブルーシートで覆われていて借景が見えなかったんですよ。そことは違う地点からも同じ五重塔は見えはするんですが、あまりにも小さくて。だけど公文さんは、五重塔が小さく見える場所で、たくさんの松にとても興奮していましたね。

公文
まず入口の松にやられました、とってもかっこいいんですよ。雨の日で、濡れた緑がしっとりしているのもよかったですね。僕の中では借景というよりも、海のように広がる一面の低い松と、雷が落ちたような大きな松、その松の海の向こうに五重塔があるという構図がとても面白かったです。

密度の高い凝縮された小さい庭園と、雄大に広がる庭園とでは見方が違いますよね。広い庭園はどのように楽しむものなのでしょう。

山口
大名庭園のような広い庭園を当時の人々が本当に歩いていたのかというと、そこは分からないです。例えば岡山の後楽園は敷地面積がとても大きくて、水田があったり芝だけが広がっていますが、そこは歩くということより、隣にある城から遠く眺めるための空虚、空白だったのかもしれませんね。密度が高い庭園こそ歩いて楽しんでいたものなのでしょう。仁和寺は真言宗、つまり密教です。庭園といっても、貴族の庭園、大名の庭園とも違う雰囲気がありますね。公文さんが気にいっていた海のような松のある入口部分、北庭、南庭では、それぞれ印象がまったく異なっていて、世界が庭に凝縮されているようにも感じられます。仁和寺の庭は密度は高いけれど、歩き回らずに眺めるための庭だと感じます。

被写体に寄った写真が多いですが、ここではすでに隣り合うマチエールという言葉は意識されていたのでしょうか。

公文
もうこの頃は既に意識していますね。だんだんとディテールを写真に押さえるようになってきました。それにこの建物自体、連なりや細かい部分のひとつひとつが、とても格好よかったというのもありますね。低い手すりにしても、丸みを帯びた木と四角い木が合わさっていて。仁和寺にはこういうところがたくさんあったので、よかったですよね。

山口
縁台の木板、縁石、白砂と、よく似たグレートーンで3つの異なる素材が隣り合っていることに気がつきます。手すりも領域の内と外を明確に区分せずに隣り合わせている記号になっているんです。こういう調和や抽象性は、見ていて気持ちがいいと感じます。

公文
ぐるりと一周したあたりで屋根の連なりが見える地点があるんですが、そこから見える屋根が面白かったですね。山口さんに屋根が灼けていると言われてよく見てみると、瓦や模様がひとつずつ違っているのに気づいて。

山口
そもそも屋根のプロポーションが優美ですし、屋根を作り上げているのは基本的にすべて「木」という同じ材料なのに、複雑なテクスチャを持ったものの集合体で出来ています。複雑であることは過剰な印象を与えかねないのですが、屋根のディテールを見ても装飾的には見えないし、むしろとてもシンプルに見えます。少しだけ形を変えたり、同じ形でも素材や大きさが少しずつ異なっていたりするものが、渾然一体となっている。

複雑なのに調和を生み出しているということは、日本文化の特徴といえると思います。例えば現在の文化のひとつでいうと、AKB48のメンバーの衣装は、それぞれの個性に合わせて全員少しずつ変えてありつつ、全体の一体感を感じさせます。そこに気がつくと、AKB48も実は日本の伝統文化に連なっていると考えられておもしろいなと。このプロジェクトの中で得たような視点でいろいろなものを見ると、今に繋がっている日本文化をいろいろな場面で発見できると思います。