ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

三重 皇大神宮別宮 瀧原宮

瀧原宮は伊勢神宮の域外にある別宮の1つです。域内には瀧原宮、瀧原並宮があり、伊勢神宮同様に20年に1度の式年遷宮を1300年間続けています。西側と東側の敷地で、殿舎が交互に建て替わります。瀧原宮は伝承では2000年前までその起源を遡るようですが、804年の書物にはその存在が記されています。瀧原並宮の起源は不明ですが、平安中期には瀧原宮同様の式年遷宮が定まっていたようです。参道入口周辺からただならぬ神聖な雰囲気に満ちています。

公文
別な仕事でこの周辺へ行った際、滝原へも寄ってみて。敷石の色の違いというのを目の当たりにして、すぐに写メを撮って山口さんに報告しました。これは庭園ではないけれど、同じ考えができるということが繋がったからです。そうしたら是非それを撮りましょうという話になって、一度帰ってから、すぐに二人で行きました。

山口
これがとても衝撃的でした。なにしろわかりやすいですよね、同じ形の石なのに色が違うことで神とそれ以外の領域を分けているんです。柵とかも立てずに。神様という特別な領域であるのに、単に色で差をつけるというのが本当に面白い。

意味を知らずとも、色が違うことによって、何かが違う、ということはわかると。

公文
ここは御宮が3つ並んでいるんですよ。真ん中が滝原の本宮で、順番にお参りするんです。道筋として、突っ切って行ってもいいのに、なんとなく白い線があるから毎回鳥居まで戻ったりして。白黒を意識すると、どうしてもそういうルートになってしまうんですよね。でも意外と神主さんは横切っていたり…。僕の体験として面白かったのは、最初にお参りに行ったときは白と黒の敷石のことなんて何も意識もしていなかったんです。最後の御宮をお参りした後に振り返ったら、道が白と黒になっていることに気がついたんです。意識しないとわからないような、そういうことが潜んでいて、でも写真として切り出すとぐっとわかりやすくなる。

山口
伊勢神宮を中心としていくつか小さい御宮がそのエリアに点在しているんですよ。その中の一つが滝原の宮です。この辺りに近づいていくと御宮の入口部分にはただならぬ空気感が漂っていて、尋常ではない雰囲気なんですよ。そこまでの道中も参道を塞ぐように大木が立っていて、公文さんは「これは変だ」と仰っていましたね。僕はピンとこなかったんですけどね。

公文
僕は道の真ん中に大きな木があることが不思議で、山口さんにそのことを話してみても、行きでは無視されたんですよ…。

山口
僕はなにより早く白と黒の敷石を見たかったので…。目的を果たしていたこともあり、帰りはなるほどなと。

公文
伊勢神宮にもこういう参道がありますが、勝手に邪が入らないようにしているのかな想像してみたり。この木がこんなに大きくなるなんて、きっと誰も思っていなかったでしょうし、未だにこうして立っていることが不思議で。庭を管理している人は変わっているのに、大木は変わらないということが面白いなと思いましたね。そういう意味の方がなんか自分には響いてました。

山口
白と黒という微差で表している関係は、意識すれば見えてきますよね。ここでいう大木は、まったく道にとっては邪魔である木が生えているというか、自然状態そのものなんだなと思ったんですよね。目的はこれこそ見えないというか、道という目的に対しては非目的であり、そのあり方というのはすごく日本的だと感じました。ただ邪魔ならば価値があるとは思えないけど、重要なのはこれが美しいということです。今回のプロジェクトを公文さんとやっていて、最終的にセレクトした写真というのは、美しいと思えるところです。質感が綺麗だったり、あまりも唐突な状態でも自然のあり方というのがすごく綺麗な風景を作っています。これは修学院離宮の飛び出た雨樋と似たような感覚です。関係のない唐突な存在を認めることも、最終的にはまとまっているとは思います。そこには調和があるんですよ。
徐々に僕らの「二人旅」の目的が変わっていったんですね。最初は借景。庭という対象は保持しながらも、「何かと何かが隣り合っているところ」という意味に意識が傾いていって、さらにディテールになっていって、最終的には庭でもなくなった。ここに行き着いたということです。