ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

京都 桂離宮

江戸時代1615年から約50年かけて造営された八条宮家の別荘で、その創建以来火災に遭うことなく、ほぼ完全にオリジナルの姿です。八条宮家が1881年(明治16年)に絶えたあと1883年(明治16年)に宮内庁所管となり、桂離宮と称されることになりました。桂離宮のイメージは写真家・石元泰博氏の素晴らしい写真によって一般的に定着しているのではないでしょうか。その写真をみると日本文化を誇らしく感じられると思います。

山口
隣り合うマチエールは桂離宮にもたくさんあるんですよ。正門は、天皇のための離宮の門だからといって豪華に作っているわけではなく、あまりにも素朴というか、飾り気がないですよね。本質的にいえばただの木の板と丸太で作られているようなものです。日本の文化の中での境というのは、いとも簡単に乗り越えられる、壊せるもので作られているんです。身分やグレードの違う世界が隣り合っていて、それは連続しているともいえるんですがはっきり区分されていない。桂離宮の水田と茶室が隣り合っていることも同じ話ですし。竹を曲げて生垣を作ることも大変な技術と能力を要するので、すごいエネルギーと手間がかかっているものではあることに気がつくんですが。

技術と美意識という観点でみると、手間をかけて作られていることは、格調が高いというということに繋がるのでしょうか。安全を担保するための塀ではないというのも面白いです。

山口
日本が平和だったんだと思います。排除するための塀ではなく、記号的なものでしかない。それを素材という視点でもう一度見つめ直すと、境界も、素材の扱いも隣り合っている。

当時、建物をつくる人と庭園を作る人、職業的に分かれていたのですか?

山口
分かれていたようですね。でも庭師の方が地位が高かったようです。修学院離宮を作った後水尾天皇もそうですけど、をどのような庭園をつくのるかという意識が高い。棟梁と庭師の身分の差というよりは、その場所の全体の印象を決めているのは庭だからだと想像します。

山口
これもあまりにもなんてことがないというか。木の皮がついたままの丸太と製材された木、竹。違うテクスチャといえども、木の仲間たちみたいなものがただ集まっているだけ。それらを隣り合わせることで特別な雰囲気を作り出していますよね。

公文
やっぱりこのアングルはとっちゃいましたね、建物自体が格好いいんですよ。それと、外の道も面白かったですね。右は桂離宮の塀で、左は民家の塀なんですが、高さが同じなんですよ。もしかしたら民家の方が高いくらいで。それが並存しているんですよね。しかも道というのは人がひとりぎりぎり通れるかどうかという距離感で、すぐそこに天皇の敷地があって、同じくらいの高さの塀が隣り合っている。茶室からは、農民が田植えをしているところを直接見ることになる。なかなかありえない環境ですよね。こういうものも発見でしたね。

山口
桂離宮にももちろん池があります。これは松で池を隠しているとても有名な見せ方なんですが、生垣の先に池があるんですけど、直接見えないように松が植っているんです。ここでいい写真が撮れるんじゃないかと予想を立てて行ってみたら、冬だったので池に水がなかったんですよね。

公文
その後、夏に行き直しましたね。最初に行った時と違って、自分の撮りたいものというのもわかってきたので、桂離宮は面白かったですね。それまでぼんやりと見てたのが、連なっているストーリーを想像してシャッターを切ってみたり。場所の歴史を知らなくても、場所にあるなにかの意図に引っ張られて、操られているような感覚でもありました。風や音から想像力を得て、自分の感覚に素直にかっこいいものを反射的に撮るということを信じた方がいいなと。

山口
桂離宮は仕掛けがいっぱいで、密度が以上に高いんです。見どころがたくさんあります。公文さんと僕とでさえ視点は違えど、それぞれ楽しみ方をわかってきた中でも、この庭のありとあらゆるものの目的というのが見えてこないんですよ。普通デザインには人が感知できる目的があるのに対し、わからないものばかりが桂離宮には密集している。単純に素材と素材を合わせると気持ちがいい、というようなことが延々と繰り返されているだけで、特に目的がないんだと思うんです。多くの人が「日本庭園を見ても私にはわからない」というのはその通りで、わからないことで日本庭園でつくられていること、ということなんですね。

山口
左側から緑、土、敷石、土間と連なっているじゃないですか。着物の十二単みたいに色や素材が合わせてあるんですが、一体何かと問われても、特に目的なんてないと思うんですよ。素敵ですよね、くらいのことで。そういうものが繰り返されているんですよね。遊びと美意識が庭を作っているのだと、発見する楽しみ方がわかってくると思います。

意図がない美しさということが魅力的なんですね。

山口
自然風景にはコンセプトがない、ということが再現されている気がするんですよ。コンセプトや目的が見えない。でも素材を組み合わせるとなんとなく気持ちがいいよね、というのが一定の文化人には共有されていたのでしょうか。ある種僕らが共感できる部分ではあるし、発見できれば楽しめるんじゃないかなと。でも僕にとっては仕掛けが多すぎて、ちょっと疲れちゃいましたね。正門の素っ気ない入り口や竹垣はとてもよかったですけど。

公文
仕掛けが連続しているので、そういうものを楽しめる人にとっては面白いと思います。僕にとって一番魅力的なのは竹垣でしたね。隣り合うマチエールというのがすごくわかりやすかったですし、境界という言葉とリンクしたし、曖昧だということや、自然的なもので作られていること、素材の扱い方もすべてわかった場所でした。