ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

京都 東山慈照寺

銀閣寺として知られる東山慈照寺は室町時代に8代将軍・足利義政によって建立されました。日本庭園は回遊式であっても、変化がまったりしていて、抑揚がないように思えるのが一般的な感想だと思います。でも東山慈照寺はゾーンごとに空間の明快な特徴がはっきりあり、それを意識して歩いてみると変化を楽しめると思います。エントランスは周囲が見えない細く高い通路、そこを抜けるとメインの池と砂山を中心とした広がり、さらに上に登るとそれらを見渡す、という具合です。これくらい分かりやすい3段階の空間構成は日本庭園のなかでも珍しいと思います。国指定特別名勝、ユネスコの世界文化遺産です。

銀閣寺には何を期待して行かれましたか?

山口
実は当初あまり期待していなかったんですよ。行ったら何かあるかもしれない程度で。僕が経済学部にいた二十歳頃、銀閣寺に行ったことがあったんですが、そのとき何も面白くなかったんです。実際に行ってみると、もちろん当時とは違う見え方をしました。借景というのがわかりづらかったんですが、公文さんが撮影に提示してくれた見方というものがなかなか衝撃的で。普通借景というのは奥にあるんですけが、向月台という山が手前にあって、借景関係になっているように見えたんですね。銀閣寺は、向月台こそが庭の中心なのかと直感しました。向月台という人工的なものが常に目線の中に入ってきて、それに対しての周りの庭樹が関係をつくっていて、それを切り取った写真になっていたんです。銀閣寺の面白さというのは、向月台とそのまわりの関係なんだと気付かされましたね。

奥にあるはずのものが一番手前にある、不思議な借景関係ですね。

山口
これは向月台のまわりにあるものなんですが、同じ砂なのに色々なテクスチャが変わって表現されている。桂離宮の竹垣と同じことがなされているわけです。隣り合うというか、これは砂自身でマチエールを作っているわけですけど。ディテールを切り取ることで差がみえてくることというのは写真ならではですよね。

公文さんはどのような意識で撮影されたのでしょう。

公文
最初は、これアリなの?と思いましたよ。これまで見てきたものと違って、主張が強すぎますよね。だけど考えてみれば、主張は強いのに、これがなんのためにあるのかは不明というのが、禅問答みたいだと。庭の中心にあって、ずっと視界に入ってくるものの目的も機能もわからないということが、面白いなと思いましたね。これはあえて不明なものとして撮ったほうがいいと思ったんですよ。全部入れこむような庭の説明的な画面構成よりも、色々なものを省いていくいことで異物ということが際立つ。この時の光もよかったですね。

山口
目的のために作られているように見えない、という文脈に則して言うなれば、これが一体何なのかを知ったからといって、自分にとっての見方は変わらないと思うんですよ。むしろこれがあることによって風景がどう特別に見えるか、という方が価値があるし、それを楽しめばいいと思うんですよ。由来を知ったからって見えてくる風景が変わるわけではないですし、どういうものかを知ってしまったらつまらなくなる場合もあります。それを許容できるのが日本庭園だと思うんですよ。公文さんは写真家ですし、現実的な方で、「この角度からでは月は見えないですよ」とか吟味していて。僕の場合は実際どうだったかよりも、そうかもしれない、ぐらいの感覚でいたんですけどね。

公文
僕、山口さんに現地で質問したんですよ。これにはどんな意味があるんですかねって。そんなのどうでもいいんだよと言われて、なるほどと思ったんですよ。目的や時代背景なんて一切いらないなと。時代ごとでどう見えていて、その場で自分はどう見るかという方が大切なのだと気づきました。