ひとり旅 | インタビュー 山口誠

 

 

このプロジェクトを始めたきっかけから教えてください。山口さんはどんなことを考えていたのでしょう?

山口
これまで、アメリカやヨーロッパ、東南アジアなど、外国でプロジェクトを多く手掛けています。ラオスでは、個人住宅でのインテリアのプロジェクトがありました。初めて現地へ行ってみると、目の前には黄土色をしたメコン川が流れていて、ラオスが昔フランスの植民地だったことに由来するのか、ベルサイユ宮殿のような建物が建っていました。でも壁の色は金色なんです。しかも、その様子は飛行機のなかから見えたんです。個人住宅なのに飛行機から容易に見えるわけです。その違和感しかないスケール感や、様式、色など、見たことのない立ち現れ方に興奮したのを覚えています。同時に、何をここで自分がつくるのかな、と迷った瞬間でもありました。
他の国でも同じようなことを考えるようになりました。広大に緑と町が広がるシリコンバレーで、巨大な平家建てのオフィスを手掛けた時もそうです。ロサンゼルスの本社で、大勢のアメリカ人の重役達に囲まれながら、これがベストのデザインであることをプレゼンし、相手は、そのデザインに資本を投入するべきかどうかを判断しますし、幸い提案を受け入れてもくれます。でも、そのデザインの説明をしながらも、なにを根拠に自分がそこに至ったのか、そこが気になるようになりました。もちろん、プレゼンの時には、そんな自分の思いは出さずに自信たっぷりに説明はします。

僕の外国でのプロジェクトのほとんどは、日本資本の現地法人ではなくて、完全にローカルの法人または個人です。そうなると、もちろんあらゆることの前提が、こちらとは異なってくるので、何を根拠に自分がものごとを判断しているのかを意識せざるをえません。経済性、合理性、機能性、審美性がすべてリセットされるので、自分として何が残ってのかを見つけないと、考える根拠がなくなってしまいます。その根拠をみつけないと、今後、建築家としてやっていくのは難しいな、と思いました。

それまでは何を根拠にデザインしていたのですか?

山口
自分のなかに根拠がなくても、日本でのプロジェクトであれば、放っておいても無意識に根拠の代わりにたくさんの条件や要因が、デザインを外側から形作っていたんだと思います。例えば、この材料は高い、この構造は時間がかかる、あの地域なら、こんな感じの雰囲気のはず、などなどです。それらは無意識的に相当な影響力があると思います。そういう前提が外国では、完全に外れてしまうんですね。

そこで、自分はそもそも何を考えているのか、ということを意識し出しました。そんな時に、現在は明治大学名誉教授で比較美術史を専門にされている山田哲平先生から、紀貫之の和歌と僕の作品性が共通している、と言っていただきました。お話を伺うと、僕の作品性はともかくとして、紀貫之の和歌は非常に魅力的なものとして感じました。僕の理解で簡単にいえば、類似性があるものを並べている、という構造です。山田先生は、その構造と同じ性質を、僕の作品のなかにたくさんみて取れる、と指摘してくれました。たしかに振り返ってみると、素材や要素が並んでいるというのは、その通りだと気付かされました。その山田先生のご指摘が、その後、自分の根拠を考える上での大きなきっかけ、手がかりになりました。

それで母校の東京芸術大学に戻って、光井渉教授の研究室で博士課程に在籍するようにしたんです。光井渉先生は日本建築史がご専門で、僕はそこで日本建築、日本庭園、和歌などの研究をしています。研究室で借景が話題になっていたある時に、「小石川後楽園に入ると東京ドームの見え方が非常に魅力的なんだよね」と光井先生が話してくれました。そのひとことを聞いて、なんだかものすごくピンときたんです。それですぐに見に行って、これはたしかに素晴らしいと思いました。それが借景についてあらたな視点で考える大きな出発点となりました。

具体的にはどういうことを研究しているんですか?

山口
博士課程では博士論文のための研究なので、論文を書いているわけです。日本建築に限らず、日本庭園も膨大で多方面からの既往研究がありますので、それらを参照しながら論文を書いています。ただ僕はそもそも建築家なので、やはり目に見えるようにしたい。読まないとわからないのもおもしろいのですが、みたらわかる、というのも魅力的だと思います。

日本庭園というのは、日本人で日本に住んでいれば、誰しもが、一度は訪れたことのあるような場所ですよね。日本庭園のイメージは、多くの人が共有していると思います。「借景」をみた時にも、きっとそこに見える借景は当たり前の存在なんです。生垣があり、山の稜線が見える。それは「美しい当たり前」で、普通であることはとても魅力的であり、これまで自分のデザインの軸であった「並べる」ということと共通点があると思いました。こういうことは言葉、文章で説明するより、印象的な風景として、つまり写真作品として切り取ることで理解できるのではないかとおもったわけです。

そこで、まずは自分で写真を撮ろうと思いました。すぐ始めれば良いのに、良い結果は良い道具から、と思っていろいろ試していたら、カメラを選ぶのに結局1年かかりました。さっさと始めればよかったですね。でもその間も、目星をつけて、あちこちの庭園に行って撮影を行っています。それがひとり旅の始まりです。

でも撮影し始めてからすぐに気がついたのですが、良いカメラが良い写真をつくるわけではないわけです。自分が感じたように写真が撮れないし、なんだか説明的な印象の写真が溜まっていきました。でもそれはそれで、その時に現地で感じたことが反映しているわけで、振り返る上では役に立っています。その写真がひとり旅でご紹介しているものです。いずれにせよ、自分で撮影する写真では、自分がやりたいと思っていた「美しい当たり前」を表現できないことに思い知らされて、写真家に撮ってもらおうと思いました。そこで公文健太郎さんに相談しました。

公文さんがいいなと思った理由とは?

山口
僕は現代アート写真を専門にしているMYD Galleryを南麻布で運営しているのですが、以前に公文さんに日本の半島を撮ったシリーズの作品を展示をしていただいたことがありました。作品を見たときに強さを感じたんですよね。公文さんの作品の強さというのは暴力的なものではなくて、被写体の中にグッと入っていって、掴み取って、引っ張り出してくる強さだと思うんです。ぼんやりしている風景を、そこにあるべきものとして、可視化していると思いました。

それと、公文さんは日本という文脈の中で色々な半島に対して感じ取ったものを撮影されていたんですが、そこには日本の風景が表現されています。僕にとっては似たような田舎の風景であっても、公文さんの作品のなかでは、明確に差があるものとして、表現されていました。公文さんには、きっとものすごく感度の高いセンサーが備わっている。ぼんやりとしか表れてこないような日本庭園のちょっとした変化を、公文さんだったらグッと掴んでくれると思い、お声かけしました。あと、人当たりもいいですし。現地で突然撮影することになっても、公文さんならなんとかしてくれるかなと。

様々な場所へ行き、見てきたことを文章で表現することもできたわけですが、それを写真家に頼んだのは何故でしょう?

山口
自分は建築家なので、基本的には物を作る仕事ですから、文章も書くことはありますけど、目に見えるものが好きなんだと思います。視覚を通して瞬時に伝わってくるものというのがやっぱり好きだし、文章を読んでわかるものというは、逆に読まなきゃわからないということじゃないですか。文章を読み解くことは日本庭園への理解過程にも通ずるもどかしさを感じます。

それよりは誰が見ても、例えば何も知らない外国の方でも感じとることができるものを作りたい、伝えたいと思っています。公文さんの写真を通し、日本庭園に対して新たな視点を提示できるのではないか、新しい日本庭園の見方をつくれるのではないかと考えました。

日本庭園に着目した背景はなんでしょう?

山口
デザインをする時に、コンセプトが見えないようにしたいと思っています。もちろん設計をするので、いろいろと考えはします。でもその考えていることが、自分の意図として他者に語りかけるのは見苦しい。ではどのように取り組んでいるのかというと、建物でも、新しい風景になるよう心がけています。

例えば、美しい小川が流れていて、その横では田んぼが広がり、遠くに山が見える風景があったとして、その自然風景自体にコンセプトは存在していませんよね。たまたまそれらが隣り合って存在しているだけです。その風景が心地よいから、そこで食事をしたり、働いたり、寝てもみたい。何か目的があるから、その風景がつくられたわけではないし、つまりコンセプトはありません。僕が新たにつくる建物、あるいは環境はそういう第二の自然風景にしたい。建物をつくりはしますが、風景をつくりたいということです。

日本建築でも現代建築でも、建物にはそれをつくった人たちの意図や当時の技術などが集約されていて、膨大な情報が見えてきます。建物自体が説明しているんです。でも日本庭園というものは、石、木、水、土でしかできていません。庭師の意図はあるけれど、建築と比べると圧倒的に原始的、あるいは本質的なものなので、日本庭園の方が自分が興味のある「風景をつくる」ということと相性がよかったんです。

山口さんが自身のデザインを「並べること」とおっしゃっていったのは、どういうことでしょうか?

山口
例えば僕がデザインする作品の中で、ガラスとステンレスミラーとが隣り合っていることがありました。ガラスは透明ですが、光の加減によっては反射してミラー状になります。似たような材質のものを並べていますが、具体的にはそういうことです。今あらためて自分がデザインしてきたものを見ると、これまでやってきたことは日本庭園にも同質のものがあって、そういうのをみると嬉しくなります。

似た素材を並べるという日本古来のものに対して、コンセプトを感じることはなかったんでしょうか?

山口
それはもちろんあります。微差のあるものが並んでいるというのは、やはり自然状態に近ずけているのではないかと思います。それが日本固有の美意識なんでしょうね。山田先生の研究で、中国文化への憧れから日本独自の文化へと移行した契機が、日本最初の勅撰和歌集である古今和歌集であり、それを編纂した紀貫之の意思だったそうです。つまりコントラストを強調する漢詩の対句表現から、類似するものを並べる和歌の縁語表現へと変化した。和歌の代表的な題材である梅は、古今和歌集以降、詠まれ方がそれまでの漢詩表現から大きく変化をしたのです。もともとは雪とのコントラストが強調されていたのが、古今和歌集ではその表現が激減します。梅の香に誘われて鶯がやってくるとか、縁語的な表現が圧倒的に増えました。そういった編纂方針によって日本の美意識を定着させようとする紀貫之の意図の結果です。勅撰和歌集についての題材の変化については、僕自身でも研究を行いました。

瀧原宮の白と黒の石にしても、桂離宮の笹を曲げた生垣にしても、それはごく簡単で、自然な操作の結果です。同じ大きさ・質感をもつ石を用いて、白と黒を隣り合わせるというのは、対比性というよりも、類似性のなかにある微差のように思えます。しならせて曲げられた笹とその背後の真っ直ぐに伸びる笹も同じです。古今和歌集以降の和歌で見られる縁語表現、類似性のなかの微差が日本庭園の随所に見られるのです。

このプロジェクトの今後のことは、どのように考えていらっしゃいますか?

山口
写真の作品集の制作を予定していますが、同時に他のプロジェクトも展開していきます。例えば、「借景の島」は瀬戸内海に浮かぶ島にある小学校の廃校をリノベーションするものがあります。それは、新しい庭をこれから僕が作っていくというプロジェクトです。その庭は、まさしく「隣り合うマチエール」として現れるようにしていこうと考えています。そこも、またあらたな旅先になるといいなと思っています。

取材・文=圓谷真唯