ふたり旅 | 展覧会レビュー 01 天野太郎 インディペンデント・キュレーター

 

 

乞(こ)はんに従う

写真と風景
名のある日本庭園 ―龍安寺なども含め― を想起する時に、その風景がイメージとして記憶の中から浮上するのは、それが直接観た記憶と同時に、むしろ多くの場合写真を通して得られている事に起因しているのは留意すべき点だろう。

そもそも、視覚的イメージの歴史は、1839年に登場する写真によって大きくシフトしている。つまり、それ以前の視覚的イメージは、人の手業によって再現(例えば絵画によって)されてきたが、写真登場以降、21世紀のデジタル社会を通して今日まで、人々によって発見されたイメージを共有する時代へと移行した訳だ。

そうした視覚的イメージは、ネット社会が急速に進展する中、膨大な数となり、もはや現実を実見したイメージか、あるいは写真で得たイメージなのかが判然としない状況を生んでいる。こうした写真の持つ機能の功罪、この場合、ある風景に対するイメージの植え付けが、実は、庭園の鑑賞方法にも少なからず影響を与えていることへの言わば反省的行為として公文の撮影が意味づけられるかもしれない。

実際に、本展では、山口の従来の庭園鑑賞への疑義を元に、公文がそのコンセプトを自分なりに解釈しつつ、庭園のみならず一般に観光地として名をなしている名所旧跡などを訪れ、その独自の視点で撮影した風景から構成されている。独自の視点とは、その多くの場合、35mmフィルムを装填したカメラで手取りのスナップとして撮影していることを意味している。また、ここでは、日本庭園における特徴の一つになっている借景についても、公文が山口との対話の中で感得した自身の解釈による借景のあり方を示したものとなっている。

 

「隣り合うマチエール」との出会い

ところで、日本庭園と密接な関係にある数寄屋、あるいは数寄屋作りは、茶室の住宅様式であったが、現在では、贅沢な素材を駆使した住宅建築全般にも使われる工法である。数寄屋は、元々は、安土桃山時代、すなわち16世紀から17世紀に生まれ、当時主流となりつつあった書院作りに対して、茶人たちはそうした格式ばった意匠や豪華な装飾をきらい、四畳半にも満たない茶座敷を「数寄屋」と呼び、軽妙洒脱で、庶民の住宅に使われる粗末な材料や技術をこだわりなく採用したものだった。

こうした数寄屋作りのあり方は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースがその著「野生の思考」(1962)で、野生=未開社会の思考の本質を解き明かしたキーワード、ブリコラージュと通底する。なぜなら、ブリコラージュもまた数寄屋作りと同様に、自分の周囲の手の届くところにある素材や道具を使用するからに他ならない。一方、庭園においても、そこに布置される石は、何ら加工を施さず、その位置も予め図面上で決められたものではない。素材の集め方にも、こうしたブリコラージュ的な要素を多分に含んでいる。

そして、こうした数寄屋や庭園の中のブリコラージュ的要素の中に、近代以降の合理性や機能性に支えられたシステマチックな方法論ではなく、理性と感性を切り離さない豊かな思考の可能性を見出すことが出来るのだ。この方法論は、予め想定するのではなく山口と対話を重ね、散策しながら発見を探る今回の公文の撮影において通底する姿勢を見出す事が出来る。

また、展覧会のタイトルにある「隣り合うマチエール」には、隣り合う異なるマチエールが生み出す意表を突く表情=風景もまたここでの重要なトピックとなっている。20世紀初頭のシュルレアリストたちの主要な表現手法でもあったディペイズマンは、ロートレアモンの『マルドロールの歌』(1869)における「ミシンと蝙蝠傘との解剖台の上での偶然の出会い」にその象徴を示したように、あるモチーフを本来あるべき環境や文脈から切り離して別の場所へ移し置くことで、画面に違和感を生じさせるものであった。

この意図的とも言える「隣り合うマチエール」は、日常におけるモノとモノとの不自然な組み合わせが日常化した近代の都市生活においてむしろ効果を生んだが、我が国の庭園における借景は、それよりもはるか昔から、風景の組み合わせの妙を発見することで様式化していた。

ここでは、対象を何も動かさず、単に鑑賞者の視点を動かすことで絶妙な組み合わせの風景=借景を見出すのだ。そして、ここで示される様々な風景=借景は、山口の言う「隣り合うマチエール」を念頭に、写真家公文がまさにその移動する視点から見出した新たな借景であると同時に、見るものの意識によって変幻自在に作り出せる風景であることをも示唆している。

備考:「乞はんに従う」とは、日本で最も古い造園書と言われている「作庭記」にある「自然に従う」と言う意味の基本理念である。「『作庭記』からみた造園」飛田範夫著、鹿島出版、SD選書193、1985参照。

取材・文=圓谷真唯

  • 天野太郎

    インディペンデント・キュレーター。多摩美術大学などで非常勤講師を務める。美術評論家連盟所属。北海道立近代美術館勤務を経て、1987年の横浜美術館開設準備室より同館、横浜市民ギャラリーあざみ野で国内外での数々の展覧会企画に携わる。「横浜トリエンナーレ2005」でキュレーター(2011年、2014年はキュレトリアル・ヘッド)を務めた。札幌国際芸術祭2020企画ディレクター[現代アート担当] / 統括ディレクター。