「借景―隣り合うマチエール」について、東京藝術大学教授の光井渉先生にお話を伺いました。光井先生は日本建築史が専門で、歴史的建造物・日本庭園の研究や、文化財保存まで多岐にわたる見識をおもちです。建築家・山口誠が博士課程に属する研究室の指導教員でもあります。
聞き手・構成|圓谷真唯
借景とは何か
「借景―隣り合うマチエール」は、山口さんが光井先生のお話を聞いたことがきっかけではじまりました。借景とは、そもそもどんなものなのでしょうか?
借景はとても魅力的な存在ですが、同時に少し胡散臭いものだとも感じています。山口さんもインタビューで言っていましたが、かつて借景で有名だった庭園でありながら、その借景がなくなったり、見えなくなったりすることもあります。そうして借景を失いながらも、庭園としては成り立っている。ですから借景は必要不可欠な要素というわけではないのです。
借景の「景」は、庭園のなかにおいて「ここを見なさい」と言っているもの、評価すべきもののことを指します。もちろん誰が見ても明らかな立石のような景もありますが、そうでなくても、ある日誰かが「あれがおもしろい」と言って、みんなが同意すれば、それは景になってしまう。逆もあります。みんなが記憶を共有した瞬間に浮かび上がるようなものが景で、絶対的なものとはいえないのです。高松にある有名な『栗林公園』でも「景の読み替え」が何度か行われていて、かつて景だったものが失われたり、新たなものに意味が付与されて景になっていたりします。
さらに借景となると、借りてきた景、つまり庭の敷地外に見えているものですから、誰かが評価したら景になるし、見えなくなったらしょうがないというのが前提で、現実や評価者の視点が強く表れるものです。また、山のなかにある御堂など、人工の建造物を借景に見立てていることはよくありますが、それらが朽ちたりしてなくなってしまい、さらに記憶も失われてしまうと借景ではなくなり、代わりにその後ろにある山の方が借景になる、というような微妙な書き換えも起こり得ます。
「景」という考え方のなかで、「借景」と「背景」の違いというのは、それを認識する人の意識によるものということでしょうか?
そうですね。認識した瞬間に景になるといってもよいと思っています。背景というものも、それと認識されれば一種の景なので、借景と背景には大きな違いはないのかもしれません。雲海のようなある季節のある時間帯に出てくるような美しいものも、常に見えるわけではないけれど借景と同じような意識で捉えられます。このように話していると、どんどん胡散臭い内容になります。この胡散臭さがたまらないし、同時に辟易もしますね。
こうした視点で山口さんと雑談をしているとき、『旧芝離宮恩賜庭園』の背後に見える高層ビル群と同じく、『小石川後楽園』背後の『東京ドーム』が話題になりました。京都にある有名な『圓通寺(えんつうじ)』の借景である比叡山は、言われないとそれとは気づかないくらい小さいのに対して、小石川後楽園から見える東京ドームはとにかく巨大です。借景と呼ぶには圧倒的すぎるのだけど、かなり惹かれる存在だねという話になりました。
山口さんと公文さんの対談のなかで、回遊の途中で突如ドームが見える場所について言及されていましたが、回遊式の庭園内で発見され意識されれば、もうそれは景になり得ると思います。国指定名勝庭園ですから勝手に改造してはいけないのだけれど、新たな借景として意識されたドームをより効果的に見せるように庭園のなかを再整理し、入れ替えていくこともありなのではとすら思います。庭園は生き物なので、そういう現状変更はこれまでも行われてきたはずです。
庭園が生き物だからこそ、作庭当時や数10年前の様相がどうだったかわからないということでしょうか?
恐らくほかの造形物というのはコントロールしている人がいて、その人が完成と見なす時期があると思います。例えば写真でも、どこでシャッターを切るか、あるいは焼き付けを止めるかというフィニッシュがありますよね。ところが庭園ではその辺が曖昧です。作庭の中心になった人が関与を終えたとしても、樹木の伸び具合を想定した完成形は数10年後かもしれない。成長の度合いが違う樹が混ざって植えられているので、様相というのは刻一刻と変わっていく。20年も経てばどんな庭園でも驚くほど変化しますし、それが100年となればもう別物です。ですから庭園の最初のかたちや庭師が目指したかたちというものは正確にはわからない。
「旅先」のふたりの対談のなかで、公文さんは繰り返し松に惹かれていましたね。松は上の方で水平に伸ばせる樹で魅力的なのですが、かたちが確定するにはかなりの時間が必要ですし、思った通りにならないこともあります。完全にはコントロールできないという前提のなかで、庭師は樹と対話して手入れを施して、それらを乗り越えてきたのですね。ここでまたおもしろいのが、剪定や植樹など、意識の上ではこれまで通りに維持しているつもりで手入れを施していても、50年100年経つとまったく違うものになってしまう。
明治時代の名園の写真を見てみると、全体的にいまみたいに樹木の密度が高くない、スカスカな印象です。また、借景となる山並みも禿山(はげやま)が多くあり、見え方はかなり違っていた可能性が高い。庭園のなかも、そして庭園を眺める建築も借景や背景も変化しているのがおもしろいといえます。そして庭園が変化していくのに対応して、庭園を眺める建築にも手が加わって、また庭園が変化する、時間の経過とともに両者の相関関係にはどんどんズレが生じます。
借景におけるデザイン研究
光井先生のご専門は日本建築・歴史建造物の研究と保存とのことですが、庭園もそことは切っても切れないものなのでしょうか?
実はわたし、山口さんにも言っていませんでしたが、学生時代には庭園と茶室にはあまり興味がないというか、嫌いでした。どちらもやたら素材にこだわりすぎるのが嫌だったのだと思います。茶室をつくっている現場に行ったとき、職人さんが大量に買ってきた煤竹(すすたけ)を選り分けて「使えるのは100本のうち1本だけ」と言っているのを見た瞬間、これは違うだろうと思いました。
使えない竹を使えるようにするのが本筋だろうって思ったのです。そのあと、寛永寺大工の鈴木さんが、搬入途中の床板にアクシデントで傷が入ってしまったときに、「しょうがねぇな」と言って、傷を花弁の一つとして、花を彫刻して据え付けちゃったという話を聞きました。こっちの方が断然かっこいい。大工や建築家のあるべき姿はこっちだと思っていました。
こうした考えを改心して、わたしが庭園について興味を持つようになったのは、庭園との関係が深い日本建築の調査と修理に携わったことがきっかけです。そこで、庭園と共存する建築の修理はどのように行われるべきなのかについて考えるようになりました。現在もかかわっている『浅草寺伝法院』は、国指定の重文建造物と名勝庭園が一体となっています。発掘成果をもとに行われた庭園の修理では、昭和初期くらいの姿を念頭に置いた復元が行われました。
樹勢や地面の高さが変更された復元後の姿には正直驚きました。建築からの見え方が予想以上に変わり、すごくよくなった。今度はその庭園をベースにして、建物の方は大正期頃を目指して修理していくことになるでしょう。浅草寺伝法院では建築と庭園との相関関係を調整できそうですが、もっと古い時代のものでは両者の調整が困難なものも多くあります。
庭園は、その定義や歴史が曖昧であることもおもしろさのひとつですが、これまでも研究は行われてきたのでしょうか?
庭園の景はある種の記号です。その相互のつながりを言語論的に解釈して全体の性格を読み込む方法もありますが、それぞれの景の記号の内容を歴史性に沿って深めていく方法もあります。滝の奥を仙人のいる場所、池を海と見なしたりするような解釈です。これについては研究というか言説が無数にあります。
そういうことを日本人や中国人はやってきたわけですが、解釈の余地とある種の曖昧さというものに対して、20世紀になってからヨーロッパの人々も興味を示しています。理解の範疇内だけどギリギリのところにあるのがよいのでしょうね。完全に理解を超えてしまったら関心を寄せないでしょうから。
しかし、これまで多くの人が借景を論じてきましたが、そのほとんどが作庭における時期や景の解釈、読み替えなどの研究ではないでしょうか。借景と庭園全体の構成や、眺望点との関係、見え方の変化など山口さんが行おうとしているデザイン研究は意外と少ないように思います。
日本と海外との比較という点では、庭園に関する考え方にはどのようなものがあるのでしょう?
ヨーロッパや中国において、一番お金をかけて建てるのは権力者の住居で、庭園もそこでダイナミックに発達しています。イギリスは少し違うけれど。一方、日本では権力者の住居は比較的簡素で、庭園についてもものすごく大規模な土木的なものはあまりつくられない。ではどういうところに注力するかというと、比較的スケールの小さな部分のデザインとマチエールつまり素材や質感だと思います。こうした文化は京都で生まれ、江戸にも入ってきて磨かれていきます。
茶室と水田が隣接している『桂離宮』について山口さんと公文さんが触れていましたが、発想としてはヨーロッパや中国にもあります。皇帝が常に民衆の生活を忘れないようにという意味合いが含まれていて、『岡山後楽園』や水戸にある『偕楽園』などの水田は、お殿様の儒学的な思想が背景にあるでしょう。また、そもそも庭園と水田地帯との境目が曖昧だったこともあると思います。
それから、いまは庭園の要素とは考えにくいものもすべて一緒くたになっていた庭園も多い。植物園を内包していた庭園は世界中にあります。一番すごいのは江戸の『戸山山荘』で、尾張藩が建設して11代将軍徳川家斉を饗応した庭園内には、箱根山の写しのほかに、『東海道小田原宿』を模倣した宿場町などがつくられました。我々が想像する庭園というより、もはやディズニーランドに近い存在ですね。戸山山荘という巨大な庭園は、本当の町には出ることができない将軍のための架空の現実だったわけです。先ほど日本の庭園は細やかと言いましたが、ときどきこうしたダイナミックなものも現れます。
借景らしさを考える
借景の見方を与えられた写真家・公文健太郎さんによって、写真というメディアを通じ、鑑賞者は視点を疑似体験することとなりました。実際に現場で受けたインパクトは、スナップ的に撮られた写真から受けるものと近しいとも言えますが。
まさしく「景」の捉え方だと思います。ここが景であると示すこと自体がひとつのメディアで、茫漠なイメージだったものが、具体的に写真に切り取られることで顕在化し、同時に公文さんの作品ともなりますから。
また公文さんの写真と山口さんの反応をみて、さらにいろいろなことを感じました。特に浜離宮恩賜庭園の写真で背景にあるビルの上層部を切り取り、さらにビルに付属する文字を映り込まないようにしている部分の対談を読ませていただいたあとには、しばらく考えてしまいました。オーソドックスな借景の手法に毒されているわたしは、背景のビルを評価した場合、ビルの上の空まで入れて全体を山に見立てるか、逆に背景と庭園との相違を際立たせるためにむしろ卑近な文字を入れて撮影したいと思ってしまいます。実際そんな写真を撮影しています。ところが公文さんはまったく別のものにしていて、山口さんもそちらに向かっている。
文字の話に絞っていえば、京都の五山送り火も一種の借景といってもよいでしょう。そう解釈すれば、庭園という本体がないまちのなか、日常風景のなかでも借景はありえることになります。死者の魂をあの世に送る意味や疫病除けなど、全員が同じ記憶を呼び起こそうという共通性があるときには、意味を持つ文字を使ってもよいのでしょう。
公文さんの写真に対して山口さんが新たな意味を加えていって多層化、再発見していくなかで、借景から隣り合うマチエールというふうに、このプロジェクト自体が動いていったわけですが、ほかに気になることはありましたか?
『向島百花園』ではスカイツリーは造形物としてつくり上げられすぎているので景になりにくい、という山口さんの見解がおもしろかったですね。その部分は浜離宮恩賜庭園背後のビルの文字を消していることと似ているのかもしれない。もうひとつ、『東京スカイツリー』は景の持っている胡散臭さが少し弱いように思います。東京スカイツリーや『正伝寺』の比叡山は、誰が見ても説明なしに理解できるものですが、明瞭すぎる。わたしとしては、もうちょっといい加減というか、解釈をひけらかして煙に巻くような方が借景らしいように思います。また、マチエールという文脈でいうと、『皇大神宮別宮 瀧原宮』の石の色によって境界が生まれている話がおもしろかったですね。こちらは論理的かつ説明的な部分が強いですが。
山口さんは「隣り合うマチエール」にふさわしい写真として選ばなかったけれど、実はわたしが一番おもしろいと思ったのは浜離宮恩賜庭園のカラーコーンの写真です。この写真ではあきらかに、カラーコーンを庭園における立石のように景に見立てています。カラーコーンと竹垣どちらも景になっていて、『電通本社ビル』という借景もありますが、庭園本体は自己主張のない真っ白な平面で、その庭園と外の領域との境界にある石垣は存在感抜群で、内外がはっきりわかれている。区切られて境界がある庭園と借景の話を説明するのにとてもいい写真で、非常におもしろいと感じました。またカラーコーンを評価しない山口さんも、らしいなと思います。
カラーコーンという景というものに対して、認識されて成立はすれど、評価することはまた別だと。景における認識と評価の差とは何なのでしょうか?
その差は一番大事なのでしょう。教科書的につくられている庭園と、名園の差はそこに生じるのだと思います。景の配置は誰だってできるし、認識も誰だってできます。しかしそこではとどまらない。禅庭の世界では、作庭だけではなく、景として認識した人がいて詩文を書き、絵師が画を描く、そうしたもろもろがセットになっているものもあります。こうして多くの人がかかわるなかで、小改良を繰り返して評価が定まっていくのだと思います。
さらに、景は見るべきポイントだと言いましたが、同時に、人間がみる視点という意味も含んでいます。例えば、日本三景の『天橋立(あまのはしだて)』では、砂洲自体が景であると同時に、それを眺める地点や股のぞきというフレーミングも景の一部に含まれています。こうした対象と視点の関係、いわば鑑賞方法は、絵画や詩文として表現されることで定着していきます。
ときには、「雁が三羽飛んでいる」や「秋陽が当たっている」といった情景が詩文や絵画で表現されれば、対象はおろか時間・季節・動物・天候までもが景に含まれてしまう。実際に庭園を見て、詩文を読み絵画を見て、たくさんの人間のなかで評価が積み重ねられてきたものが名園になるのでしょうが、評価や同意を得られずに消えていくものも多々あります。
また、描かれた詩文や絵画をベースにした再構成も行われます。中国人が描いた「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」などが日本に入ってくると、その意識をもとにして日本の風景を評価し、さらには庭園がつくられる。こうしてつくられたはずの庭園では、景は明確な存在であるはずなのですが、地形が変わったり石が割れたりして、曖昧になっているものも多く、現実には読み取りにくい。これはやはり庭園が生き物であることと関係しているのでしょう。
新しい現代の借景というものを「隣り合うマチエール」という文脈で、写真を いうメディアを通して提示した「ふたり旅」だったわけですが、同時に山口さん ひとりのプロジェクトとして『借景の島』が進行しています。この先期待されることを教えてください。
山口さんがやっていることは、ある面では、すごくオーソドックスな日本庭園への向かい方です。庭園は文字化と絵とが一体関係になってきたわけです。現代における絵画は写真に、文章も詩文ではなくこのような言説になるわけですから、もう最後に山口さんが庭園を完成させれば三位一体になる。誰から依頼されたわけでもない、山口さん自身がさまざまな基準で判断したものができ上がってくるわけです。またここから、公文さんが撮ってきた写真をベースに、山口さんが庭園を再構成するという発想もおもしろいかもしれません。いろいろ見させてもらえるのがとても楽しみです。
2021年11月5日